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2019年5月13日 (月)

総永代経法要

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・永代経の由来とこころ

 

永代経のはじまり

一般の真宗寺院における最重要法要と位置付けられるのは、言うまでもなく報恩講です。では2番目は?と問うと、「永代経」という答えが返ってくることが多いのではないでしょうか。

けれども、この永代経がいつから勤められるようになったのかについては、実はあまりよく分かっていません。元禄7年(1694)の記録には、すでに「永代一座御経」とあります。時は将軍綱吉の時代、赤穂浪士の討ち入りの少し前といえば、時代感覚が把握できるでしょうか。そして、この法要が全国のお寺に広まったのは、江戸時代も末期になってからであろうと考えられています。

このように、永代経は比較的歴史が浅いともいえる法要なのですが、それがなぜ真宗にとってとても大切な法要になったのでしょうか。

 

永代経と報恩感謝

永代経は、詳しくは「永代読経」といい、永代にわたってお経を読み、そのお心をいただいて参りましょう、という法要です。そのためには諸々の経費が要りますので、亡き人、ご先祖を偲びつつ、永代経の志を上げることが習わしとなってきました。

先祖伝来の土地が売れて、替え地として様々な地区で田を買われた方がおられます。その方は、その替え地のある地元のお寺で永代経法要が勤まると、それぞれ志を上げられると聞きました。その理由を尋ねましたら、「先祖のおかげですから」と。その方は、先祖の土地が売れたことによってそこの田を購入し、お米を収穫することができる、その感謝の想いを、その地元のお寺での永代経に際して志を上げるという“かたち”で表現されているのでした。

真宗門徒が永代経を大切に思うのは、この法要が、亡き人、ご先祖に対する報恩感謝の気持ちを表す場になっているからでしょう。亡き人、ご先祖に「ありがとう」と感謝申しつつ、大切に永代経をお勤めし、仏法聴聞のご縁にさせていただきましょう。

 

・途切れることのないように

 

届けられている願い

毎年、永代経を迎えるごとに、懐かしい肉親を偲び、私たちにかけられている亡き人の願いを深く感じます。先日、ご門徒から次のような話を聞かせて頂きました。

生前、法座のたびに一緒にお参りしなさいと言う母を、うるさく感じていました。「仕事で参る暇はない」と反発する私に、「参ったら、五千円あげる」ともいい、「私が死んだら、念仏するか」とつめ寄ってきたことも。母亡き後に見つけた日記には、私を案ずることばかりが綴られていました。寂しさや申し訳なさもあって、だんだんお寺へ足を運ぶようになりました。あれから14年が過ぎ、今やっと思います。手を合わせようとしない私を今も母が心配して、お寺へと誘い出し、育ててくれているのだと。今日も、母と一緒にお念仏です。

このご門徒は、肉親との厳しい別れを経験されました。しかし、お念仏のなかに親の願いを受けとめ、会い続けておられます。このように、浄土で仏となった方は、あらゆる手だてを使って、お慈悲の心を届けてくださっているのです。み教えを聞くところに、亡き人と会う世界が開かれることを教えて下さったのでした。

 

染み込んだ声

親鸞聖人は、『 教行信証 』の終わりに、『安楽集』の言葉を引いて、「前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないように」*とお念仏のいわれを示されています。

以前、ご法話で「本堂の壁や柱には、お念仏を喜ばれた、懐かしい人たちの声が染み込んでいて、私たちにお念仏を依り所に生き抜いてくれと、よび続けておられます。本堂に座り、共にお念仏申し、お聴聞いたしましょう」と、聞きました。先祖のためにお参りすると思いがちですが、仏となった人が、先回りをして、私を本堂へと導いて下さっているのです。そして、「前のもののあとを尋ね」ること、つまり私の本当の依り所を、み教えに聞くことが大切です。長きにわたり、代々伝えられたお念仏の道を、私も歩み、また途切れることなく、お念仏を申し伝える。この尊いご縁をいただくのが、永代経なのです。

*『顕浄土真実教行証文類現代語版646

 

 

たすくるぞ たのめの母の 喚び声の

 

今ぞ聞こえし 南無阿弥陀仏 (香樹院徳龍)

 

リーフレット「永代経」

監修 本願寺仏教音楽・儀礼研究所 

執筆者

山田雅教
東海教区三重組西勝寺住職
元 本願寺史料研究所客員研究員

武山晃隆
安芸教区山県太田組専正寺住職
本願寺派布教使
輔教

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